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サカナクション『834.194』 再構築の6年を経て、サカナクションが手にした新たな武器とイメージの変化

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サカナクション、6年ぶりのアルバム、『834.194』。一言で言う。正真正銘、今のサカナクションを映す傑作だ。

 

ツリーチャイムの印象的な音色で始まる「忘れられないの」にいきなり驚かされる。今までのアルバムの1曲目とは一線を画している。優しい。こんなに温かくて、生身で、柔らかいサカナクションのアルバムの始まり方、今まであっただろうか。照れ隠しのようなミュージックビデオの遊び心も愛おしい。

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既発曲に宿った新たな命とその理由

既発曲の多さ。しかもその既発曲は、「新宝島」だったり、「多分、風。」だったり、タイアップが付き、テレビやネットで何度も再生された曲たちである。言い方を変えれば、「強い曲」たちである。一歩間違えれば「ただ良い曲を集めただけ」となり、オリジナルアルバムとしては意義を失ってしまう。

これらの楽曲を、東京と札幌、浅瀬と深海、作為と無作為という対比で2つのディスクに分けた。アルバムを通して聴くと、まるで既発曲が新たな命を宿ったかのように聴こえる。なぜそう思うのか。音楽だいすきクラブのレビューでは構成の素晴らしさがその要因ではないかと考察されていた。基本はこの意見に同意だ。

サカナクション『834.194』 - 音楽だいすきクラブ

しかし、構成だけでなく、サカナクション自身の変化と、サカナクションに対して我々が抱くイメージの変化も、既発曲の印象を変えたひとつの要因ではないだろうか。

 

新たな武器を手にしたサカナクションの変化

DISC1「35 38 52 9000 / 139 41 39 3000」

AOR的ナンバー「忘れられないの」や派手なイントロが特徴的な「モス」など、絶妙なダサさ・昭和っぽさを内包した楽曲群は、Macbookを並べ、ダンサブルで現代的なサウンドを連発していたかつてのサカナクションのイメージとは少し異なってきている。ジュディ・オング山本リンダ山下達郎C-C-Bなど、山口一郎が明かしている今作の引用元からしても明らかだ。「新宝島」から続く70~80年代の日本音楽への敬愛と傾倒は、サカナクションに新たな武器を与えた。そのことがまるで種明かしのように明らかになっていくことで、既発曲の印象が変わっているように思う。

後半の「聴きたかったダンスミュージック、リキッドルームに」からは少し展開が変わる。「ユリイカ」をリミックスver.として収録して、普段のインストゥルメンタル・ナンバーのように機能させるという試みがとても面白い。これもまた、サカナクションの新たな一面となるだろう。

 

「グッドバイ」「さよならはエモーション」で変わったパブリックイメージ

DISC2「43 03 18 9000 / 141 19 17 5000」

DISC1とは対照的に、まるで深い霧の中、もしくは深海の中にいるかのような雰囲気のあるDISC2。前作「sakanaction」でも表と裏というサカナクションの二面性がクローズアップされていたが、前作に比べて閉じた印象がないのは、ひとつひとつの曲の完成度の高さによるものだろうか。突破を一手に担う「ワンダーランド」に爽快感があることも一因かもしれない。しかし、一番の理由は、我々がサカナクションに抱くイメージが変わったからかもしれない。

2013年までのサカナクションに期待していたものと、今のサカナクションに期待しているものは違う。「アルクアラウンド」「アイデンティティ」「ミュージック」は、歌詞を見ると確かに山口一郎の苦悩が色濃く反映されているものの、サウンドは明らかに、先進的で、踊れて、大衆的だ。だからこそ、アルバムの中で暗くパーソナルな楽曲が続くと、少々身構えてしまうものだった。

それに比べると今のサカナクションのイメージは少し変わった。きっかけとなったのは、おそらく「グッドバイ」や「さよならはエモーション」のリリースだろう。

 

不確かな未来へ舵を切った、再構築の6年の始まり

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ノンタイアップでリリースされた「グッドバイ」から、DISC2は始まる。DISC2の1曲目だが、アルバムとしてはちょうど真ん中に位置する。「グッドバイ」リリース時の山口一郎の言葉を振り返ると、この曲の重要性がよくわかる。

その当時、先生は、自分が作りたい曲を作るのではなくて、求められる曲を作ることに慣れすぎて、それが当たり前になっていくことがすごく辛くて、「ユリイカ」という曲の歌詞を書いている最中に、本当に音楽が嫌いになって、歌詞を書きたくない、音楽なんて作りたくないっていうところまで行ってしまったんです。そして、体中に蕁麻疹が出たり、精神的なバランスが崩れて、みんなを責めたり……本当に、辛い時期がありました。そんな風に、体調や精神的に異常が出てきてしまったので、できることなら、1年くらい休養したいと本格的に考えたりしました。

 「グッドバイ」初オンエア! | 未来の鍵を握る学校 SCHOOL OF LOCK! サカナLOCKS!

同じ時期には山口一郎だけでなく、キーボードの岡崎英美も精神を病んでいた。大ブレイクを遂げたサカナクションだったが、メンバーには限界が近付いていた。

そんな時期に、ふと出てきたのが「グッドバイ」のメロディーだったという。

でも、実際……紅白とかも出て、ザッキー(岡崎)とかも、メンタル壊れちゃったりして。僕自身もちょっとおかしくなったりしてメンタルも壊れて。やっぱり無理してたなっていうのが分かっちゃったんですよね。だから、そういった当たり前の方法で作為的にわかりやすい曲をどんどん出していって、このままのスタンスで続けていくのはサカナクションとして無理だっていうのが分かっちゃったんですよ。僕はそこで「グッドバイ」っていう曲でドロップアウトしようと。そういった流れから。一個ずつ積み重ねていったもの……『sakanaction』で積み上がって、膨れ上がってバランスが崩れていたものを一回倒してまたちょっとずつ積み上げていこうという気持ちを表現したかったんだろうなって

「ニューアルバム『834.194』発売!完成までの6年間を振り返ります。」 | 未来の鍵を握る学校 SCHOOL OF LOCK! サカナLOCKS!

長かった6年間の旅路はこの曲から始まった。わかりやすい曲で売れることからドロップアウトし、不確かな未来へ舵を切ることを選んだ。そこから始まる6年間はいわば「再構築」の期間だったように思える。

 

メジャーデビューから一気に駆け抜けた6年と、再構築の6年。

長い下積みを経て東京に進出し、「アルクアラウンド」でポピュラリティを獲得、武道館、Mステ出演、ドラマ主題歌と一気に階段を駆け上がった。そして2013年にはNHK紅白歌合戦にも出演した。いつからかサカナクションは、日本の中でも類を見ない、特別な立ち位置にいるアーティストへと変わったように思う。

あれから6年。決して空白期間というわけではなかった。シングルは4枚リリース(うち2枚は両A面)され、大規模なアリーナツアーも敢行、LIQUIDROOMでの主催イベントの開催や自主レーベルの立ち上げ、レギュラー番組「NFパンチ」など、サカナクションの活動は精力的に続けられた。

アルバムのリリースがなかった期間も、決して止まらず、動き続けたからこそ、サカナクションは自身の変化とイメージの変化を引き起こすことができたのだろう。

 

この6年間がサカナクションにとって、どういう意味を持っていたのかは『894.194』というアルバムが示してくれていると思う。再構築を経て、サカナクションは新たな武器とイメージを手にした。そのことを実感する、驚異的なアルバムである。