突然の、そして直前での監督交代
サッカー日本代表のハリルホジッチ監督が4月7日付で契約解除されました。2018年のロシア・ワールドカップの開幕までは2か月ほどであり、テストマッチは残り3戦という段階での突然の解任となります。解任の是非、経緯や時期の妥当性も議論されるべき内容ですが、果たしてW杯の直前にW杯予選を勝ち抜いた監督を交代したチームは他にあったのか?そしてその代表チームはW杯でどういう結果を残したのか?という点が気になりましたので、過去3大会における各国の監督交代事情を調べました。
2014年ブラジル・ワールドカップ
このワールドカップで、大会期間の半年より直近で代表監督を交代したチームはありません。1年以内に広げたならば、クロアチア・メキシコ・オーストラリアが2013年の9~10月に監督交代を断行しました。なお、クロアチアとメキシコはW杯予選でプレーオフに回ってしまったこと、オーストラリアは親善試合で大敗が続いたことが監督交代の理由となっています。
交代時期 | 理由 | 本戦の結果 | |
クロアチア | 2013年10月 | プレーオフ前の監督辞任 | グループリーグ3位 |
メキシコ | 2013年9~10月 | W杯予選での不調 | ベスト16 |
オーストラリア | 2013年10月 | 親善試合の大敗 | グループリーグ4位 |
クロアチアはヨーロッパ予選のグループAで2位となりプレーオフに回り、シュティマッツ監督が辞任。グループA最終戦でスコットランドに0-2で完敗したことが引き金となりました。後任にはU-21クロアチア代表監督だったニコ・コヴァチが2013年10月に就任。アイスランドに勝利してW杯出場を決めましたが、メキシコとブラジルに敗れてグループリーグ突破はなりませんでした。
メキシコは2010年にホセ・マヌエル・デ・ラ・トーレが監督に就任しましたが、北中米カリブ海3次予選で大苦戦し、7試合で1勝しかできず1982年以来のW杯予選敗退の危機が迫りました。監督を1か月半で4人代えるという混乱の中、最終的には大陸間プレーオフに回ることになり、メキシコ国内リーグでクラブ・アメリカを優勝に導いたミゲル・エレーラ監督を2013年10月に招聘。プレーオフでニュージーランドを下した勢いを生かして、本戦グループリーグではカメルーンとクロアチアを下し、ブラジルに引き分けて、6大会連続のベスト16進出を達成しました。
オーストラリアは浦和でも指揮を執ったホルガー・オジェックが、2011年のアジアカップ準優勝、さらにW杯アジア最終予選でも日本に次ぐグループ2位でW杯出場を決めたのにも関わらず、その後の親善試合でブラジルとフランスにともに0-6の大敗を喫したことから*1異例の監督交代が行われました。就任したのは現横浜F・マリノス監督のアンジェ・ポステコグルー。本戦の結果はスペイン・オランダ・チリと対決する死のグループで3連敗でした。
2010年南アフリカ・ワールドカップ
この大会では半年以内に2チーム、1年以内に4チームが監督を交代しています。驚くべきことに、いずれもアフリカのチームです。初めてのアフリカ開催となったW杯で、なんとしてでも結果を残さなくてはならないと焦った各国が監督交代に踏み切ったのだと推測されます。しかし残念ながら、どの国もグループリーグを突破することはできませんでした。
交代時期 | 理由 | 本戦の結果 | |
コートジボワール | 2010年3月 | アフリカネイションズカップでの準々決勝敗退 | グループリーグ3位 |
ナイジェリア | 2010年2月 | 不明 | グループリーグ4位 |
南アフリカ | 2009年10月 | 直近の9試合で8敗 | グループリーグ3位 |
カメルーン | 2009年7月 | アフリカ最終予選ラウンドで2戦未勝利 | グループリーグ4位 |
コートジボワールはヴァビド・ハリルホジッチ監督に率いられ、ドログバ・カルー・ジェルビーニョなどを擁した攻撃陣がアフリカ最終予選ラウンドでは6試合で19得点と大爆発したものの、大本命と目されたアフリカネイションズカップ2010でまさかの準々決勝敗退を喫し解任されてしまいます。後任が決まったのは3月28日と、現在の日本代表とほぼ同時期での監督交代となりました。エリクソン監督に率いられた代表チームは、W杯のグループリーグでブラジル・ポルトガルと同組になってしまい、善戦虚しくグループリーグで3位敗退に終わりました。
ナイジェリアはアフリカ最終予選ラウンドを無敗で突破し、アフリカネイションズカップでも3位の好成績を残したシャイブ・アモドゥを大会直前の2月になぜか解任。*2ラーシュ・ラーゲルベックが後任を務めましたが、アルゼンチン・韓国・ギリシャを相手に1勝もできずに終わりました。
南アフリカは自国開催のW杯が控えているにもかかわらず、アフリカ2次予選ラウンドで敗退するなど低調なパフォーマンスが続いたジョエル・サンタナが、直近の9試合で8敗を喫したことによって解任され*3、2007年1月から2008年4月まで代表を率いていたカルロス・アルベルト・パレイラを2009年10月に復帰させました。グループリーグではメキシコに引き分け、ウルグアイには完敗もフランスから勝利する健闘を見せましたが、得失点差で3位となり敗退となりました。
カメルーンはアフリカ最終予選ラウンドの開幕2試合でトーゴに敗れモロッコと引き分けたことで監督交代を決断し、ポール・ル・グエンを招聘するとそこから4連勝で本戦出場を決めました。しかしグループリーグでは日本・デンマーク・オランダに3連敗してしまいます。なお、アフリカネイションズカップはコートジボワール代表と同じく準々決勝敗退でした。
2006年ドイツ・ワールドカップ
半年以内に監督を交代したのはトーゴのみですが、1年以内に広げるとサウジアラビア、韓国、オーストラリアも該当します。
交代時期 | 理由 | 本戦の結果 | |
トーゴ | 2006年2月 | アフリカネイションズカップでの3連敗 | グループリーグ4位 |
サウジアラビア | 2005年12月 | 不明(サッカー連盟との確執?) | グループリーグ4位 |
韓国 | 2005年10月 | 東アジアサッカー選手権で3戦未勝利 | グループリーグ3位 |
オーストラリア | 2005年7月 | コンフェデ杯のグループリーグ3連敗 | ベスト16 |
トーゴは当時アーセナルに所属していたアデバヨールがアフリカ予選で爆発してW杯出場を決めました。しかし、初出場の立役者になったステファン・ケシ監督がアフリカネイションズカップのグループリーグ3連敗を理由にされてしまいます。後任のフィスター監督は初戦の韓国戦の4日前に辞任騒ぎを起こすなどゴタゴタが続き、結局韓国・スイス・フランスに3連敗でグループリーグ最下位となりました。
サウジアラビアはアジア最終予選で6戦無敗だったカルデロン監督が謎の退任。サウジアラビアサッカー連盟との確執があったともされています。後を引き継いだマルコス・パケタ監督はグループリーグではウクライナに0-4で大敗するなど結果を残すことができませんでした。
韓国は2002年に疑惑のベスト4。その時チームを率いたヒディンク監督が退任してからは、監督が1年ごとに交代するドタバタ劇。W杯出場は決めたものの、東アジアサッカー選手権で3戦未勝利だったことから監督交代となり、10月からアドフォカート監督が就任しました。本戦ではトーゴに勝利、フランスに引き分けますが、スイスに敗れてグループリーグ突破はなりませんでした。
オーストラリアは当時オセアニアサッカー連盟に所属していましたが、オセアニアはW杯の独自出場枠がなく、出場の為には大陸間プレーオフに勝利しなければならないという厳しい条件があり、初出場を果たした1974年から32年間W杯出場がありませんでした。W杯の前哨戦であるコンフェデレーションズカップ2005でグループリーグ3連敗を喫したことで、前回大会で韓国を大躍進に導いたヒディンク監督を招聘します。すると、シュウォーツァー、ケーヒル、キューウェル、ビドゥガ、ニール、ムーアなどプレミアリーグで実績のあるメンバーの実力がいかんなく発揮され、ウルグアイとの大陸間プレーオフに勝利して悲願の本戦出場を決めると、W杯のグループリーグでも日本に勝利してベスト16という結果を残しました。
監督交代理由別成績
さて、過去3大会における直前での監督交代の理由は大きく分けると3つです。
- 直前の試合での成績不振
- プレーオフや最終予選を勝ち抜くための劇薬投入
- 謎(連盟や協会とのトラブル?)
主なチーム | 大会まで | 監督交代の理由 | 結果 | |
1 | コートジボワール | 3ヶ月 | アフリカネイションズカップでの不振 | グループリーグ3位 |
1 | トーゴ | 4ヶ月 | アフリカネイションズカップでの3連敗 | グループリーグ4位 |
1 | 韓国 | 8ヶ月 | 東アジアサッカー選手権で3戦未勝利 | グループリーグ3位 |
2 | メキシコ | 8ヶ月 | W杯予選での不調 | ベスト16 |
2 | クロアチア | 8ヶ月 | プレーオフ前の監督辞任 | グループリーグ3位 |
2 | オーストラリア | 11ヶ月 | コンフェデ杯のグループリーグ3連敗 | ベスト16 |
2 | カメルーン | 11ヶ月 | アフリカ最終予選ラウンドで2戦未勝利 | グループリーグ4位 |
3 | ナイジェリア | 4ヶ月 | 不明 | グループリーグ4位 |
3 | サウジアラビア | 6ヶ月 | 不明(サッカー連盟との確執?) | グループリーグ4位 |
1つ目は直前の公式戦での成績不振によって監督を交代するケースです。アフリカはW杯直前にアフリカネイションズカップという大会があり、その大会の成績で監督を交代する、ということが多いです。なお、結果としてグループリーグは突破できていません。
2つ目も1とほぼ同じですが、予選でプレーオフに回ってしまったチームが閉塞感を打破するために監督を交代するケースでは、W杯本戦でもそれなりに結果を残しています。グループリーグを突破したチームはこのパターンのみです。もちろん、監督を交代したものの、プレーオフで敗退してしまうチームの存在があることを忘れてはなりませんが、プレーオフ前の劇薬投入は比較的本戦での成功率が高いようです。
そして、そのどちらにも当てはまらない、成績以外での監督交代を断行した2チームがあります。これを3つ目のケースとしましょう。このケースで監督を代えたチームは1勝もできていません。
ハリルホジッチ解任の理由は成績不振ではない
今回の日本代表の監督交代は一見すると成績不振による監督交代に当てはまります。しかし、本当に成績不振だったのだろうか?ということを考えねばなりません。昨年秋の欧州遠征で2連敗した相手であるブラジルとベルギーは明らかに格上、1-4で韓国に敗戦したE-1選手権は国内組だけのテストマッチであり、北朝鮮と中国には勝利しています。今年3月のベルギー遠征は酒井宏樹や吉田を欠いた中でのテストマッチでしたが、選手選考の場で結果が求められるのはなかなか厳しいような気もします。
田嶋会長は会見で「選手とのコミュニケーションや信頼関係が多少薄れてきた」ことを契約解除の最大の理由と説明しました。なかなか異例の解任理由かと思います。成績以外の面で監督の交代を決めたということであれば、今回の件はむしろ3つ目のケースに該当します。
西野新監督の率いる日本代表がW杯でどんな結果を残すかはわかりません。好成績を残す可能性もあります。ただし、過去のデータからすると非常に厳しい戦いとなりそうです。直前に監督交代をしたチームの多くが、元々グループリーグを突破できる力がなかいことも確かですが、監督交代の理由が不明瞭であるときの本戦の結果は言わずもがなです。
もちろん、グループリーグを突破することだけが代表チームの活動目標ではありません。しかし、田嶋会長が「1%でも2%でも勝つ可能性を追い求めて」 監督を交代したのであれば、そしてこれまで積み上げた戦術をすべて放棄するのであれば、言い訳せずに結果を求めるべきだと思います。
半年以内に監督交代してグループリーグを突破したチームの数はたったの1チーム
ちなみに2002年以前についてはこちらの記事でご確認ください。数が膨大なので詳細まで調べきれなかったのですが、Qolyさんが既に記事にしていました。
ここでまとめられている通り、半年以内に監督交代をした12チームのうち、グループリーグを突破したのはたった1チームで、1994年のサウジアラビアが唯一、ホルヘ・ソラーリ監督の下でベスト16になっています。また、多くのチームは就任から4か月ほどは準備期間があったため、大会2か月前での監督交代というのは非常に異例です。
残せるものは結果しかない
残念ながら、ハリルホジッチが3年間取り組んできた欧州基準の戦術は日本に根付きませんでした。たしかに、デュエルという言葉に象徴されるように、個人のフィジカルに重きを置き、縦に速い攻撃で相手を苦しめるという戦法が日本人に合わなかった部分はあります。協会との関係性もあまり良好とは言えませんでした。実績があり、言語化能力も高い優秀な監督ではありましたが、日本代表監督として最適ではなかったということでしょう。では、誰が日本代表の監督に適任なのかを考えなくてはなりませんが、どういう監督にどういうサッカーをしてもらいたいのか、という明確なビジョンと強化計画が今は見えません。目指すべき指針がなく、選手や協会の好き嫌いによって監督人事が左右され、大会直前にこれまでの積み重ねを無にするようなことがあれば、W杯後に誰を監督に据えても同じです。
もうこうなってしまえば、残せるものは結果しかありません。日本の最新のFIFAランキングは55位。出場32か国の中で29番目であり、グループリーグで負けて当然の実力しかない国です。W杯本戦で再現性のない奇跡を期待するより、地道に育成環境の改善と国内リーグの充実化を図って、世界との差を縮めるよう努力すべき状況です。しかし、田嶋会長を筆頭にした日本サッカー協会が「奇跡」を目指すというのであれば、それがこの国のサッカー文化というものなのでしょうし、奇跡のためにひたすら乱数調整を繰り返していればいつかベスト8になれるかもしれません。そういう話をしたいんじゃないんですけどね。