銘々と実損

書かなくていい、そんなこと。

演劇ユニットせのび『どこかの国のアリス、あるいはなんとかランドのピーターパン』


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演劇ユニットせのび『どこかの国のアリス、あるいはなんとかランドのピーターパン』を盛岡のCyg art galleryで観劇した。

 

僕はこの作品の素晴らしさを上手く言い表すことができない。

何をどう綴っても、読む人からは大袈裟に、そして自分としては物足りなく感じてしまう。

だからとにかく観に行ってもらいたいのだ。盛岡近辺にお住まいの方はこのエントリを読んでいたらすぐに公演時間と週末の予定を調べてほしい。

 

演劇ユニットせのびは、岩手大学劇団かっぱに所属していた村田青葉が2016年の3月に立ち上げたばかりの劇団だ。本公演が第2回公演にあたる。

旗揚げ公演となった『なくなりはしないで』は、第14回盛岡市民演劇賞において創作戯曲部門の部門賞を獲得。

劇団かっぱ時代にも村田青葉は『ホープモアホームレス』で第1回とうほく学生演劇祭の審査員特別賞に選ばれるなど、彼の才能は多方面で評価されている。

 

そんな村田青葉が満を持して放った脚本・演出作品が『どこかの国のアリス、あるいはなんとかランドのピーターパン』である。

 

まず目を引くのは、二つの寓話を節操なく欲張ったタイトルだろう。

あらすじを引用する。

ある少女は大人になりたかった、
ある少年は大人になりたくなかった…
少女はある世界へ転がり込み、
少年はある世界に居座った…
詩的に言わなくてもそんなの分かってるから!
世界的児童文学、「不思議の国のアリス」と「ピーターパン」を超大胆に解釈し、再構築した作品。

 タイトルで意図的にボカされている「不思議」と「ネバー」。

この「摩訶不思議でどこにもない」世界を、物語の序盤から圧倒的なメタ表現と目まぐるしく変わる展開でこれでもかと言うほどに破壊してみせる。

作り話からも現実からも遠く、自分の姿すらもはっきりとわからない世界に、主人公のアリスを放り込む。

 

村田青葉の作品の特徴は、圧倒的な引用と再構築、そして理不尽のその先を見せるエンディングにあると僕は思う。

まず身近にあるテーマから、多少強引にでも既存の物語や設定を用意してみせるのだ。過去作品で言うのなら、『ホープモアホームレス』は、演劇を始めたばかりで野心や夢はあるものの結果に結び付かない自身を「ホームレス」と「政治家」にそれぞれ投影していた。自身の劇団かっぱ引退公演での『グッドバイ』なら、「別れ」というテーマを、ヒーローと怪人、それを取り巻く人々との関係性から描いている。

そして、それぞれの立場や有名な言動・ありがちな行為といった「予定調和」を徹底的に裏切り、破壊し、演劇の決まり切った型からも外れたまま作品は進む。主人公や、それに同情する観衆は、何度となく劇中に理不尽により打ちのめされそうになる。

しかし最後には抜群の説得力を持った結末が待っている。

彼の脚本は理不尽から決して目を背けない。戦って勝つわけでもなく、理不尽が無くなるわけでもない。ただ、背けない。必死に生きることを選択する。

途中でいかに話の本筋から脱線しようと、別の道に誘惑されようと、現実感のない空間に放られようとも、結末を含めたラストの十数分は、「可笑しくて笑いながらも、悲しくて涙が出る」ような、複雑な感情を厭わずに真っ直ぐ進むのだ。

 

星野源が『くだらないの中に』で

人は笑うように生きる

と歌うのだが、僕はこの感覚に近いものを村田青葉の脚本に感じている。

彼の公演のラストには、観衆の笑い声が非常に大きくなるシーンが必ず用意されている。端的に説明するならば、人の感情のピークで狂ったように繰り返す動きや心の叫びが滑稽に映る、というものだ。そこで起こる笑いの本質は非常に悲しくシリアスなのだ。

人は笑うように生きる。薄っぺらい言葉遊びや子供騙しではなく、すごく深刻に、泣きそうになりながら、醜さと向き合うために笑うのだ。誤魔化しているのではなく。

 

もうひとつ彼の脚本で特筆すべきは、「演劇らしさ」を非常に重視していることであろう。映画や小説等のカルチャーには慣れ親しんでいるが、演劇を生であまり見たことがない方々にこそお薦めしたい。

シームレスに次々と変わる展開の中で、一人で何役もこなす演者たちの演じ分けは見事であり、前の役の表情や台詞が観衆の脳内に残ってるからこそ痛快に映る。

会場であるCyg art galleryは非常に狭く、演者の息遣いや顔色がはっきりと分かるのも、物語の緊迫感を演出しているようだ。

 

最後に、『グッドバイ』での台詞を引用する。

「死ぬってそういうことなんだ。繰り返し繰り返しやってきたことが、もうやれなくなっちゃうってことなんだ。それってなんか、寂しいね。」

『どこかの国のアリス、あるいはなんとかランドのピーターパン』では、死すらも繰り返す。恐れおののくほどの狂気が笑いを生み出す中で、「生きるとは何か」「自分とは何か」を問い質す。

 

村田青葉は現在大学4年生。今回のテーマの中には、「モラトリアムの終わり」「子供から大人になる」といった彼の現況が強く盛り込まれ、アリスやピーターパンといった寓話の登場人物も否応なしに彼の「今」に投げ入れられる。

夢オチ・永遠の子供といった寓話の中の当たり前は通用しない。白うさぎも妖精もトランプも片手がフックの海賊も、皆が現実という檻の中で筋書きを失いひたすら彷徨う。

そこにあるのは「お前は誰だ?」という問いなのであり、自分の現在地と未来そのものなのである。

 

演劇ユニットせのび公式ホームページ

演劇ユニット せのび (@senobi_engeki) on Twitter

 

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