銘々と実損

書かなくていい、そんなこと。

2月9日―千華と金魚―

私は賢人君が好きだ。好きで好きでたまらない。

賢人君は普通の男子中学生だ。特に秀でていることはないし、クラスの中で目立つ存在でもない。ここで言及するべきの変な癖も無いし、もう本当に普通だ。普通過ぎてつまらない。背もそんなに高くないし、顔も良くないし、運動神経も普通だ。だからあまり人気も無い。私はなんで賢人君が好きなのだろう。わからなくなるくらいに賢人君は普通だ。

けれども、好きになってしまった。好きになる特別な出来事があったわけでもないし、好きになった理由だって具体的には無い。どうして、って友達に聞かれたけど、うまく答えられなかった。

第一、私は賢人君と話したことが無い。クラスは同じだけれど、席が遠くて、掃除当番も日直も給食当番も周りの席の人で組まされるので、接点が無い。私は賢人君のことをほとんど知らない。貴史君とよく話しているから、仲が良いのかもしれない。私は貴史君のことを少しだけ知っている。掃除当番が一緒だからだ。

授業中ずっと賢人君を観察していた。賢人君は情熱大陸のスタッフが半年間密着しても使える部分が3分弱しかないくらい普通だ。何も面白くない。私は賢人君を面白くしたいと思った。平凡な賢人君の毎日を変えたい。まるで小説の主人公みたいに、様々な出来事を起こして振り回したい。そうだ、私は賢人君を困らせたいのだ。困った賢人君が見たい。困った顔をiPhoneで撮影してTwitterにアップしたい。Likeを2桁はもらいたい。それを賢人君に見せて、また困らせたい。

今日も何にもなく6限のチャイムが鳴った。賢人君は今週、4階の多目的教室の掃除当番だ。私は1階の理科実験室の掃除に向かう。賢人君から少し目を離しても、きっと何にも起こっていないんだろうな。そういうところも好きだ。まるで水槽の金魚みたいだ。いつ見ても変わらず口を開けながら泳いでいる。私は水槽にアクエリアスの粉末を入れてみたいと思っている。そんな風に賢人君を驚かせたい。

掃除が終わって、反省会のために班長が先生を呼びに行った。貴史君が暇そうに水槽を見ている。そういえば貴史君は理科実験室掃除の度に、掃除をサボって水槽の中をずっとのぞき込んでいる。

「ねえ」

「なんだ、千華かよ。話しかけてくるなんて珍しいな」

「この金魚、誰かに似てると思わない?」

「うーん、俺の推理が正しければ、こんな魚顔な奴はクラスにいない」

「顔じゃなくて、性格のこと」

「性格?金魚の性格なんて知らねえよ」

「そっか。じゃあさ、こいつに悪戯してみたくならない?」

「あー、なるよ。というかいつもしてる」

「どんなことするの」

「例えば、昨日この中に給食で余ったふりかけを入れておいた」

「今日の様子はどう?」

「変化なし。金魚の口の周りが海苔だらけになってたら面白かったのにな」

私はそう言われて、口の周りを海苔だらけにした賢人君を思い浮かべる。ちょっとかわいいかもしれない。

「それから、週に1階の水槽清掃の時、臭かったから水槽の中にエイトフォー塗りたくった」

「え、さすがにダメじゃないかな」

「いや、大丈夫だった。水槽からシトラスの香りがしてたよ」

全身からシトラスの香りをさせた賢人君を想像して吹き出してしまった。

「私もやってみていいかな」

「もちろん。どんなのが面白いと思う?」

「あのさ、相手は金魚じゃないんだ」

 

続く