銘々と実損

書かなくていい、そんなこと。

2月14日―水餃子と僕―

「はいこれ、水餃子」
 
僕は酷く困惑している。今日は2月14日。詰まるところバレンタインデーというもので、僕を含めた世の男子はそれなりに期待をして学び舎へと足を運ぶ訳であるが、期待と言うのは毎度毎度裏切られるものである。しかし今年は裏切られる方角が全く異なっている。女の子から、確かに貰った。僕は貰ったのだ。水餃子を。
近年バレンタインデーはクラス中の女の子のプレゼント交換会と化している。まだ僕は中学生なので、あまり経験が無いが、これが将来的にハムとかビールとか食用油とかになって、つまりはお中元やお歳暮と変わらないのではないか。そのくらいロマンティックとは程遠いイベントとなっている。
それでは男子たちは何に期待するのか。未だにバレンタインデーに愛の告白を待つような愚かな奴もいるが、僕を含めた大半の思考は、女の子たちのプレゼント交換会の中で余った(もしくは名目上余ったものにされた)お菓子を貰えるかどうか、なのである。
多くの女子はクラスの大半に行き渡るように大量にお菓子を生産して持ってくる。そして、その内の幾つかは、「余ったから」「お世話になってるから」「なんとなく」のような言葉を添えて、男子の元に渡るのだ。しかし、それを手にすることが出来るのは、一部の選ばれた男子のみである。つまり、バレンタインデーでお菓子を手に出来るかどうかは、日頃僕が女の子にどう評価されているかに懸かっている。クラス替えから約1年、このクラスで僕はどれだけ女の子から評価されたか、チョコを貰えるに値する人間かどうか、通信簿よりもシビアな審判が下される、それがバレンタインデーだ。
昨年の今日を振り返っておこう。クラスで一番人気だった百合香さんも、席が隣でよく喋っていた深雪さんも、幼なじみの由花も、僕にチョコを渡すことは無かった。話が面白い奴か、顔が整ってる奴か、サッカー部の奴か、まあそんなように、クラス内の地位が高い奴らが小分けされた袋を手にしていた。
 
そして今日。一度も喋ったことがない、千華さんから、水餃子を貰った。
そもそも水餃子は学校に持ち込んで良いものなのだろうか。普段は飲食物の持ち込みが禁じられているが、この日ばかりはと教師陣も目を瞑ってくれている、がしかし、水餃子はまずいのではないか。バナナはおやつに入りますか問題に近い気もする。水餃子はお菓子に入りますか。入りません。だけれど、音楽プレーヤーや携帯電話などを持ち込んではいけない、とは学年通信にも書いてあったが、水餃子を持ってきてはいけないという文言は見たことが無い。じゃあ水餃子が机の中に入っていて怒られないだろうか。そんな訳が無いだろう。僕に渡す前にもし先生に見つかったらどう説明するつもりだったのだろう。いやその前に僕にも説明が欲しい。一体どうして水餃子なのだ。
彼女は他のクラスメイトにも水餃子を配り歩いたのだろうか。チョコやクッキーやマカロンを貰い、水餃子を渡していたのだろうか。そしてこの水餃子は余って、僕にくれたのだろうか。水餃子を配り歩く人間は生まれてこの方見たことがない。中華料理店のプロモーションだろうか。彼女の実家が中華料理店で、それでだろうか。しかし僕の街には中華料理店は無い。ファミレスもスターバックスも無い。あるのは、コンビニが2軒と、評判の悪い居酒屋が1軒。彼女が中華の申し子説は棄却とする。
いろいろ考えたが、やはり訳が分からない。千華さんは何を考えて僕に水餃子を渡したのだろう。千華さんは何者なんだろう。僕は千華さんにとっての何なのだろう。もう、誰が誰からチョコを貰ったとか、誰が誰に告白したとか、全く気にならないくらい、僕は千華さんと、水餃子のことばかり考えている。
 
(2月15日に続く)