銘々と実損

書かなくていい、そんなこと。

第5回 大学短歌バトル2019 学生短歌会対抗 超歌合

大学短歌バトル2018は公益財団法人角川文化振興財団が主催するイベントです。こちらの文章は主に大学短歌バトルで披露された歌についての感想文になります。

はじめに

この文章はある程度短歌に詳しい、あるいは短歌バトルを見た/出場した人が読むことを想定しています。また、ひとつひとつの対戦をじっくり取り上げるのではなく、あくまで歌について、特に好きと感じた作品の感想を述べるものになります。

そのため、大学短歌バトルがどういうものであるのかという説明は若干省きます。大学短歌バトルについて深く知りたいという方は、KADOKAWAから発表されたプレスリリースを参照して頂けると幸いです。

【平成最後の真剣勝負!開催迫る!!】第5回 大学短歌バトル2019 学生短歌会対抗 超歌合 本戦3/2(土)「ニコニコ生放送」13時~ |株式会社KADOKAWAのプレスリリース

また、大学短歌バトルはKADOKAWAの関連団体が主催しているため、ニコニコ生放送で中継されています。プレミアム会員であればタイムシフト視聴で録画でも見ることが出来ますので、もし未視聴であれば見て頂くことをおすすめします。面白いです。

live2.nicovideo.jp

短歌バトルが魅力的だと思う理由

無責任に面白いですとだけ言っておすすめするのは忍びないので、なぜ面白いと思うかについて簡単に説明します。

大学短歌バトルは「歌合」という形式で行われます。

歌合とは、歌を詠み合いその優劣を競う奈良・平安時代から続く文芸批評。
「大学短歌バトル」では、<先鋒><中堅><大将>の3名が1チームとなり、それぞれの題を詠んだ短歌の質を、その作品と批評で競い合う。

KADOKAWAのプレスリリースより

歌単体での良し悪しだけで判定が決まらない、という対決としての面白さもありますが、批評によって自分たちの歌の良さをより深める見方を提示し、相手の歌に対しては問題提起を行うことで、初見時とは歌に対する印象が変わっていく過程にこそ魅力を感じます。ひとことで言えば、ひとつの歌に対して様々な発見ができるという面白さがあります。また、勝敗が絡んでいることでより評がシビアになったり、時間制限によって情動的になったりすることも魅力のひとつです*1。構造としてはラップバトルに近い面があり、エンターテインメントとして見ても非常に可能性を感じます。*2

 

前置きは終わり、ここからが歌の感想です。

一回戦 お題「笑」

両思いだったのになあ テレビみて笑った息でとんでくティッシュ(武田穂佳)

初谷むいさんの評が(発声含めて)とても良くて、うんうんと頷いたので自分の言葉で何かを言うのが烏滸がましいなと思いました。笑うという行為がトリガーになっているので題詠「笑」として良い歌だと思う、そうですよね。実感がある歌。

 

 水めぐる花を手折ればきみに泣き笑いをさせたときの感触(大壷こみち)

泣き笑いという単語を句またがりさせることで、泣き笑いという感情の複雑さを表現するのに成功していると思います。それだけでも十分良いけれど、「水めぐる」ではじまるのが絶妙に良いですね。大壷こみちさん、良かったので他の歌も探したのですがネットには出てこなかったので誰か情報をください。

 

笑うたび擂れるあなたの筋肉に触れてあなたの日々とは火花(石井大成)

上の句のパワーが愛おしい歌です。だからこそ下の句に何か言いたくなるけれど、「あなたの日々とは火花」が、その奥にあるストーリーを思い浮かべたくなる作用をしていて、間違いなく効いていると思うんですよね。これを何かに変えようとすると強度が保てなくなると思います。あなたが笑うごとにかけがえのない物語があって、それは間違いなく火花のような瞬間の美しさがあるんだよなあ、と。あえて題詠「笑」ではなく別の場所で見たかったかもしれない。石井大成さんは評も良くてファンになりました。
そして、準決勝で先に二本先取されて披露できなかった歌をTwitterで出していたのですが、本当に好みだったので紹介します。題詠「火」です。

まんとひひ。あまり悩まず君が「火」と返す。真顔で。どきっとする(石井大成)

しりとりの歌。前と同じ文字を返されたときのウッとなる感じと、前の単語との連なり(マントヒヒ→火)の両方がうまいこと重なって、火を見たマントヒヒの怯え具合まで想像できる面白さを感じました。あとこれは勝手な話ですが、女性としりとりをしていて急に物騒な単語が現れるとなんかどきっとしませんか。どうですか。話を戻しますね。まんとひひが平仮名で表記されていることもあり、しりとり遊びの最中に意識せず単語を無機質なものと扱っている主人公が存在していて、そこから急に実体を伴った「火」が現れる、という、無から有への動きがあるんじゃないかなと思います。もはや、まんとひひという字もなんか怯えているように見えてくる。すごい。単なるしりとり遊びの歌に留まらない一首だと思います。大会で見たかったな…。

 

一回戦 お題「立」

永遠に続く方眼上を這う立って遠くを見たら  這う(長友重樹)

距離として遠くに連れて行ってくれる短歌だと思います。想像に身を任せつつも明確な意志を感じさせる歌はなかなか作れるものではないです。字空けにすら意志を感じられる。格好良いけど気障ではない。結構特殊なやり口だとは思いますが。一目見ただけで心を掴んで離さないので、こういうのは短歌バトル向きの歌かもしれません。

 

 一回戦 お題「人」

犯人がふたたび花を踏むまでの冬にずうっとある繁華街(黒川鮪)

は行の重なりの技巧的な美しさと、人間の心のざわめきを繁華街と表現する情感的な美しさ、どちらもバランスがいいのになぜなのか怪しい魅力のある不思議な歌でとても好きです。「花を踏む」という行為の扱いについてはteam TOKUGAWA側の応援評を聞いて、え、そうなの?と思ったので悩ましい*3ような。花を踏むことと罪を犯すことを単純に同一視しないほうが美しいと思うんですよね。もっと意欲的な読みでも受容されるような力のある歌だと思います。

 

わけがないと会えない人のせわしさの積もるばかりの雪に触れたい(神野優菜)

「の」を重ねる歌は非常に練られていないと読みにくくなってしまうのだけれど、最適解ではないとしても歌の可能性を広げていく佳作だなあと思いました。この「の」ですが、積もる感触がありますよね。ちゃんと雪が積もっている。しんしんと、という言葉が浮かぶような、静かだけど切なる感じですごく好きな歌でした。

 

いつか人語を奪はれる日を思ひつつ君とみじかき挨拶をする(越田勇俊)

うわああああ!!と思いました、ずっと覚えていたい一首。言語化できないほどの感動に襲われるくらいに良かった。それだけで十分かと思うのですが、感想を。
「人語」を「奪はれる」という表現、ただ「死ぬ」よりもずっと残酷で、考えさせられることだと思いませんか。死だけでなく、病かもしれないし、もしかしたら人類の絶滅かもしれない。あるいは、より身近なこと、たとえば悲しい出来事に直面して言葉を失うとか、そういうことかもしれない。そんな日のことを考えながらも、主人公は何か特別の行動を起こすではなく、淡々と「みじかき挨拶」をする。無力感というか、クールさというか。「いつか」のことはいつ起こるか分からず、そもそもそんな日が来ることの現実味もまだ薄い。そのあたりの感触を「みじかき挨拶をする」で表したこの歌の抒情に心を揺さぶられました。穂村弘さんの感想そのままになってしまいました。

 

準決勝 お題「クレッシェンド」

重力だ いちにいさんのさんがないクレッシェンドで抱き寄せるひと(村上航)

この動作がクレッシェンドかどうか、は確かに議論されるべきところですが、クレッシェンドは長短自在だった気がしますので、これは短めのクレッシェンドと捉えます。抱き寄せるというところが良くて、なんとなく誰かを祝福しているようなイメージを受けます。誰かをお祝いするときって夢の中にいるみたいな、すこし非現実っぽさがあると思うんですが、重力という言葉もなんだか宇宙的なものに思えてきて、誰かを抱き寄せて重みを実感するまでの間にふと意識が別のところに向いていくような浮遊感を覚えます。なんだか映画みたいだなあとも思いました。

 

決勝 お題「寺山修司

寺山修司知らない君が手を広げ海だよと言う海がはじまる(初谷むい)

上手い…。題「寺山修司」の最適解だよね、ということで。言うまでもないですが本歌取りです。上手すぎると何にも言えなくなりますね。武田穂佳さんの応援評も非常に練られていて、勝つために完璧な準備をしたよねえという。誰でも作れるよね、みたいな話は無視していいと思います。題が難しすぎるので。あと決勝だし。そして歌が良いし。真っ向勝負をしたことを称えたい。
判者の栗木さんの「歌を知っているだけで寺山修司を知っていると言っていいのか」という問題提起に対しては、海を知っているとは何だろうか、という話に通じてしまうのでそんなにダメージがないと思いました。あくまで寺山修司の歌、というだけの話だと読み取っていいと思います。

 

決勝 お題「姿」

はじめての自転車姿何枚も撮る 恋がまだ元気なうちに(武田穂佳)

序盤の初々しさを一気に切なくさせる終わり方は、わかっていてもやられる、ザ・武田穂佳の歌という感じがしました。あくまでシンプルな言い回し。自分の語彙にない言葉はあまり使わない。基本はポジティブ。簡単な言葉で人をどきりとさせられる。何気ないことを言っているようで、大きいことを歌っているような。ところで、武田穂佳さんの歌はハロプロっぽさがありませんか。けれども武田穂佳のすごいところはもうちょっと違うところにあるような気もしていて、ずっと追い続けたい歌人だと思っています。

 

終わりに

大会自体は、決勝という舞台であっても相手の評に対して即興でぴしゃりと反論ができる乾遥香さんのキレキレぶりも含め、獏短歌会の強さが際立っていました。まずもって先鋒が初谷むいさんって強いな…。あと、乾さんが大将ということは、一番勝ちたい場所で乾さんの評を使えるってことなんですよ。そりゃ強い。で、この獏短歌会の盤石ぶりを見て、大学短歌バトルの戦い方が結構変わるかもしれないなと思っていて、来年も楽しみです。

 

*1:歌に対していろんな発見ができるという意味で歌会も好きです。どちらにも良さがあると思います。

*2:とはいえ短歌をエンタメ化しすぎるのに否定的な方もいるのかもしれません。たとえば俳句を嗜む人はTBSで放送されているプレバトの俳句コーナー(夏井いつき先生が添削を行う番組)をどう見ているんだろう、という点と、歌合という形式だけが短歌だと思われたくはないよね、(実際にラップの世界ではバトルだけがラップじゃないよね、という批判は盛んに起こってます)という点が気になります。歌に勝敗を付けすぎるのはどうだろう、とか。個人的には即詠歌合会とかしたいなって思ってます。

*3:栗木さんにも指摘されていた